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東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)99号 判決 1984年11月29日

原告

京セラ株式会社

右代表者代表取締役

稲盛和夫

右訴訟代理人弁護士

成冨安信

中町誠

被告

中央労働委員会

右代表者会長

石川吉右衞門

右指定代理人

駒田駿太郎

村田勝

近藤紘一

野田裕昭

被告補助参加人

全関東単一労働組合

右代表者執行委員長

片山岩一

右訴訟代理人弁護士

里村七生

三浦宏之

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が中労委昭和五六年(不再)第一号事件について昭和五八年四月六日付けでした命令のうち、主文第四項を除く部分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  補助参加人組合は、昭和五五年七月二三日及び同年八月一六日の二回にわたり、神奈川県地方労働委員会に対し、原告会社に合併される以前のサイバネット工業株式会社(以下「旧会社」という。)を被申立人として、補助参加人組合サイバネット工業分会の分会員である片山昭子(以下、「片山」という。)の休職及び退職扱い等について不当労働行為救済の申立てをしたところ(同委員会昭和五五年(不)第一五号、同第一七号事件)、同委員会は右両事件につき昭和五五年一二月二四日付けで別紙(一)(略)のとおりの救済命令(以下、「初審命令」という。)を発した。

旧会社は昭和五六年一月六日初審命令を不服として被告に対し再審査申立てをしたが(中労委昭和五六年(不再)第一号事件)、その結審後の昭和五七年一〇月一日原告会社は旧会社を合併したところ、被告は昭和五八年四月六日付けで別紙(二)のとおり原告の再審査申立てを一部棄却する再審査命令(以下、「本件命令」という。)を発し、同命令書は同年五月一二日原告に交付された。

2  しかし、本件命令には、次のとおりの違法が存在する。

(一) 片山の退職に至る経緯

片山の昭和五三年九月一六日から昭和五五年三月一五日までの一年六か月間の出勤状況は、別紙(三)のとおり、他に例を見ないほど劣悪なものであった。旧会社は、片山に対し、しばしばこの点を指摘し、注意を与えてきたが、全く改善が見られなかったため、同人に補助的な単純作業を割り当てざるを得なかった。片山は、昭和五五年四月一一日以降、脊椎椎間軟骨症の病名で長期欠勤を始めた。そこで、旧会社は、片山の従来の勤務状況及び右長期欠勤の事実を考慮すれば、就業規則二三条一号(「精神もしくは身体の障害により業務に堪えられないと認められるとき」)及び二号(「勤務成績または能率が著しく不良で、向上の見込みがないと認めたとき」)により片山を解雇することも可能であると判断したが、疾病及び勤務成績の向上改善の可能性を考慮し、就業規則一八条一号及び一九条一号により同年六月一一日付けで片山を休職とし、休職期間を二か月と決定し、この旨を同月一六日に片山に通知した。ところが、片山は、休職通知を受けるや、にわかに主治医を変更し、同人の病気が頸肩腕障害及び腰痛症であり、業務に起因するものであると主張し始めた。

これに対し、旧会社は、第一に、主治医変更の経緯が不自然であること、第二に、右病名が従来の片山の欠勤事由である風邪、貧血、胃炎及び痔疾などと全く関係がないこと、第三に、片山の前記勤務状況のほか、片山がいわゆるライン業務における仕事らしい仕事をしたのは、昭和五一年三月の入社から昭和五三年二月までの間のうち、痔による三か月半の入院期間を除く一年八か月余にすぎず、その後、不況による川崎工場閉鎖問題が生じたため、片山は、昭和五三年四月から一〇月までの六か月間、工場閉鎖反対のストライキをして全く就労していないことや、同年一〇月に玉川作業所に移ってからも、不況による受注減により仕事らしい仕事はなく、片山は全くの軽作業に従事していたにすぎないうえ、昭和五四年三月五日から同月一五日までは会社都合による休業も行っていることなどに照らすと、片山が業務に起因した病気にかかる状況は全く見当たらないことから、病状を客観的に検討するため、片山に対し、昭和五五年七月一六日付けの文書で会社指定の専門医の診断を受けるよう指示した。

しかるに、片山は、指定医の診断を受けることなく欠勤を続け、同年八月一〇日の休職期間満了時にも、その直前に更に一か月の休業加療を要する旨の診断書を提出して、復職に至らなかったのであるから、就業規則二一条四号の定めにより、休職期間満了時をもって雇用契約は当然終了したのである。

(二) 本件命令の主文第一項(退職通知がなかったものとして取り扱わなければならない旨の命令)についての取消理由

本件命令は、旧会社が片山に対して休職規定を適用したこと及び休職期間を二か月と定めたことは、相当であって不当労働行為に当たらないとしている。ところで、旧会社の就業規則二一条は、「社員の次の各号の一に該当するに至ったときは、その日を退職の日として社員の身分を失う。」とし、その四号において「休職期間が満了しても復職の望みなしと認められたとき。」と定めているのであるから、休職期間満了時に復職しない限り、雇用契約は当然に終了するのであり、その時点で、旧会社に片山を退職させるか否かの裁量的行為が留保されていたり、新たに退職させる意思表示が必要となるものではなく、退職の効果発生は単に時間の経過による必然の帰結にすぎないのである。そうすると、本件命令が、休職規定の適用と休職期間の設定行為を相当としながら、退職の効果発生のみを不当労働行為としたのは、無から有を生ぜしめるが如き背理といわざるを得ない。

また、昭和五五年八月一〇日付けの退職通知には、何らの法的効果もなく、単に事実の確認の意味しかないのであるから、このような行為をとらえて不当労働行為であるということはできないし、退職通知がなくても退職の効果は発生するのであるから、「退職通知がなかったものとして取り扱わなければならない」とする本件命令の主文第一項は、原告にいかなる行為を求めているのかその趣旨が不明であり、重大な瑕疵があるというべきである。

更に、本件命令は片山の休職期間を延長する余地があったかもしれない旨判断しているところ、旧会社の就業規則一九条五号は休職期間を延長しうる旨規定しているけれども、それまで右規定の適用を受けた者はいないのであるから、片山が労働組合員であるがために前例に反して特権的に右規定を適用されるべき理由はなく、仮に、休職期間を延長していたとしても、片山は、昭和五六年一一月の時点でも完全に回復しておらず、現在も労災保険による休業補償給付を受けているのであるから、早晩「復職の望みなし」として退職となることは免れなかったのである。

したがって、本件命令の主文第一項には、重大かつ明白な瑕疵があり、取消しを免れない。

(三) 本件命令の主文第二項(団体交渉に応じなければならない旨の命令)についての取消理由

補助参加人組合の昭和五五年七月二二日付け団体交渉申入れは旧会社に片山の疾病を職業病として認めさせることを大前提とするものであるが、これに対し旧会社は、指定医の診断を拒否したままでは職業病と認めるわけにはいかないし、休職期間の変更もあり得ないとの態度をとり、同月八日の団体交渉の際、既に両者の主張は対立したまま平行線をたどっており、前記申入れの時点でも何らの進展打開もなかったのであるから、旧会社がこの申入れを拒否したのは正当な理由に基づくものである。

また、この問題については現在も両者の主張が対立したままであるから、救済命令で団体交渉を強制しても、その実効性には疑問がある。

したがって、本件命令の主文第二項もまた取り消されるべきである。

3  なお、本件命令の理由の「第一 当委員会の認定した事実」記載の被告の認定事実に対する認否は、以下のとおりである。

(一) 第1項の各事実は認める。

(二)(1) 第2項(1)の事実は認める。ただし、片山は、昭和五一年八月二一日から同年一一月三〇日までは痔の手術で入院するなどしていたため、就労しておらず、実際に川崎工場勤務となったのは同年一二月一日からであって、初めの一か月間はライン作業に入らず部品組立て関係の軽作業を行っていたのである。

(2) 同項(2)の事実は認める。ただし、旧会社が、川崎工場から機材を搬出しようとしたのは玉川作業所への移動のためであり、支援の労働組合員の川崎工場構内への立入りを禁止したのは、その者らが無断で作業場に入り込み、ハンドマイクで叫んだりして作業を妨害したためである。また、旧会社が別組合(総評全国一般労働組合神奈川地方連合サイバネット工業支部)と締結したものと同一内容の協定を補助参加人組合と締結する意思はないと回答したのは、両組合の組合員数が全く異なるにもかかわらず、補助参加人組合が別組合と同一額の解決金二〇〇〇万円を要求し、旧会社がこれを承認できなかったためである。

(三)(1) 第3項(1)の事実のうち、片山が、認定事実のように勤務していたこと、新城整形外科医院原田医師の診断書を提出して昭和五五年四月一一日から欠勤を始めたこと、及び認定事実の各診断書が旧会社に提出されたことは認め、その余は不知。

(2) 同項(2)の事実のうち、休職通知書受領の日が同年六月二四日である点を否認し、その余は認める。旧会社が休職通知書を発信したのは同月一六日であるから、片山は遅くとも同月一八日にはこれを受領しているはずである。

(3) 同項(3)の事実は認める。

(4) 同項(4)の事実のうち、補助参加人組合が今井医師と旧会社との話合いを提案したとの部分、旧会社が今井医師と話し合う必要はないと回答したとの部分、及び「また、旧会社の交渉員が片山の具体的な作業内容、作業量を知らない事情もあったため上記の団体交渉においては、結局、片山の疾病、休職に関する結論はでなかった」との部分を否認し、その余は認める。右団体交渉は、前記2(三)のとおり、デッドロックにのりあげて決裂したのである。

(5) 同項(5)の事実は認める。

(6) 同項(6)の事実のうち、労災保険給付の請求日は不知、その余は認める。

(7) 同項(7)の事実は認める。

(8) 同項(8)の事実のうち、片山の昭和五五年八月九日付け文書の要求内容とその趣旨は否認し、その余は認める。補助参加人組合は片山の疾病を労災と認めよとの要求に終始していたのである。

(9) 同項(9)及び(10)の事実は認め、同項(11)の事実は不知。

(四) 第4項の事実は認める。

(五) 第5項の事実のうち、会社側出席者が暴力行為を受けた場所の点を否認し、その余は認める。

4  よって、原告は、本件命令の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  同第2項は争う。

三  被告の主張

1  請求原因第2項(一)について

原告は片山の出勤状況が別紙(三)のとおりであるとして非難するが、別紙(三)の記載は、証拠と食い違っており、しかも有給休暇及び生理休暇をも不就労日数に加えている点に問題があるうえ、他の従業員と比較することもなく勤務状況が劣悪であると主張するのはあまりにも一方的である。

片山は、新城整形外科医院の治療によって病状が軽快しないため、既に昭和五五年六月六日から神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所で診察を受けていたのであるから、休職通知を受領するや突然主治医を変更したとはいえないし、片山が休職通知を受領したのが同月二四日であることは証拠上動かしがたいところである。

労働者は原則として医師選択の自由を有するのであるから、労働協約、就業規則又は労働慣行に指定医ないし指定医制度を根拠付けるもののない本件においては、旧会社には片山に対して指定医の診断を受けるよう指示する権限はなく、しかも、片山はその疾病の業務起因性をうかがわせる診断書を提出しているのであるから、片山が右指示に従わなかったというだけの理由で業務起因性について判断することができなかったとする原告の主張は失当である。

なお、片山が休職期間満了時に提出していた診断書には、昭和五五年八月一日から一か月間の休業加療を要すると記載されていたのであって、休職期間満了時から一か月という趣旨ではない。

2  同項(二)について

本件命令の主文第一項は、旧会社が片山に対して昭和五五年八月一〇日付け退職通知を発し、翌一一日以降同人を退職したものとして取り扱っていることが不当労働行為に当たると判断したことに基づくものであって、その内容は、原告会社において片山を同月一一日以降もその従業員として取り扱うべきこと、すなわち、その従業員たる地位の回復及びそれに伴い必要となる措置をとるべきことを命じる趣旨である。したがって、原告会社としては、具体的には、片山に対し場合によっては休職期間を延長するなり、就業規則三三条四号による特別休暇を与えるなりし、片山が医師の診断書を提出して、就労を申し出たときは同人の健康状態に応じた職務に就かせることを考慮するなど適宜に対応しなければならないのである。

右退職取扱いを不当労働行為と評価したのは、その取扱いになお再考の余地があったのに、旧会社がこれを顧慮せず性急に、もはや休職期間の延長等適宜の措置をとる余地がないとした点に不当労働行為意思の介在を認めたからである。

使用者が労働組合法七条一号の規定に違反して労働者に対し不利益な取扱いをした場合には、その取扱いが法律行為でなくても、不当労働行為が成立するのであるから、仮に退職通知が雇用の終了を告げる観念の通知であったとしても、旧会社が片山との雇用の継続を再考すべきであったのに、それをせずに退職の通知を発したことが不当労働行為を構成するのである。

3  同項(三)について

補助参加人組合の昭和五五年七月二二日付け団体交渉申入れに対し、旧会社は、補助参加人組合と話し合うより片山本人と話し合いたいとするとともに、交渉事項も同月八日の団体交渉で説明済みであると一方的に述べているだけであるから、当時、労使の交渉が行き詰り、打開の見込みがない状況であったとはいえない。

また、原告は片山の疾病に業務起因性がない旨主張しているが、これは原告の一方的な主張であり、労働基準監督署も業務起因性を認める旨の決定をしているのであるから、原告会社に再考を促すためにも、救済命令によって団体交渉に応じるよう命じることが必要かつ適切である。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因第1項の事実は、当事者間に争いがない。

二  まず、本件命令の「第一 当委員会の認定した事実」において認定された事実のうち、原告の主張と関連する第1項ないし第4項の事実関係について検討する。

1  第1項「当事者等」で認定された事実については、当事者間に争いがない。

2  第2項「本件に至るまでの労使関係」については、原告が請求原因第3項(二)記載の事実を附加して主張しているが、認定された事実自体には当事者間に争いがない。そして、(証拠略)を総合すると、片山は昭和五一年八月二一日から同年一一月三〇日まで痔の手術のため入院するなどして就労しておらず、同人が実際に川崎工場で勤務を始めたのは同年一二月一日からであって、初めの二週間はライン作業に入らず、前加工作業に従事していたことが認められ、また、(人証略)によると、旧会社が別組合と締結したものと同一の協定を補助参加人組合との間で締結することを拒否した理由は、補助参加人組合が別組合と同額の和解金を要求したのに対し、旧会社が両組合の組合員数が大きく異なっているとしてこれに応じなかったことにあることが認められるが、原告主張のその余の事実については、これを認めるに足りる証拠がない。

3(一)  第3項(1)で認定された事実のうち、片山が右認定事実のとおり勤務し、新城整形外科医院原田医師の診断書を提出して、昭和五五年四月一一日から欠勤を始めたこと、並びに右認定事実のとおり同年五月六日付け及び同月二八日付けの各診断書が旧会社に提出されたことについては、当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、その余の事実も本件命令書記載のとおり認めることができる。

(二)  同項(2)で認定された事実のうち、片山が休職通知書を受け取った日が昭和五五年六月二四日である点を除くその余の事実については当事者間に争いがなく、(人証略)の証言によると、旧会社は、昭和五五年六月一六日付け休職通知書を同日又は翌日中に、川崎市高津区の本社から同市中原区の片山の自宅にあて普通郵便で発送したことが認められ、これが七日ないし八日後の同月二四日になって片山方に配達されたとの点には若干の疑問がないではないが、(証拠略)によると、片山は休職通知書を受領したのが、旧会社に要求書を提出した同月二四日の夕方である旨明確に記憶していると供述していること、及び(証拠略)によると、右要求書には休職通知に関する記載が全く存しないことがそれぞれ認められ、他に原告の主張に沿う証拠はないから、片山が休職通知書を受け取ったのは、本件命令の認定するとおり、昭和五五年六月二四日であると認めることができる。

(三)  同項(3)で認定された事実については、当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、旧会社は、昭和五五年六月二四日付けの要求書に対し、同月二六日付けの「回答並に申入書」で、片山の疾病問題については「会社の指定医(専門医)の診断を受け会社が業務上傷病と認定した者については業務上の傷病として取り扱う」旨回答したことが認められる。

(四)  同項(4)で認定された事実については、昭和五五年七月八日の団体交渉の席上、補助参加人組合が今井医師と旧会社との話合いを提案し、旧会社がその必要はない旨回答したとの点、及び「旧会社の交渉員が片山の具体的な作業内容、作業量を知らない事情もあったため」右団体交渉においては片山の疾病及び休職に関する結論が出なかったとの点を除き、当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、右各事実を認めることができ、これに反する(人証略)は、右各証拠に照らし、にわかに信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、(証拠略)を総合すると、右団体交渉における片山の疾病問題についての主な交渉内容は、片山の疾病について業務起因性を認めるか否かにあり、補助参加人組合があくまでも業務起因性のあることを前提として休職通知の撤回等を要求したのに対し、旧会社は、業務起因性を認めるには片山が指定医の診断を受けることが前提であり、そうでなければ業務に起因する疾病として取り扱うことはできないとして、右要求をすべて拒絶したため、右団体交渉においては何らの結論も得られずに終ったことが認められる。

(五)  同項(5)で認定された事実については、当事者間に争いがない。

(六)  同項(6)で認定された事実のうち、片山が労災保険給付の請求をした日付け以外の事実については、当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、右請求の日付けは、本件命令の認定するとおり、昭和五五年七月二二日であることが認められる。

(七)  同項(7)で認定された事実については、当事者間に争いがない。

(八)  同項(8)で認定された事実のうち、昭和五五年八月九日の片山の旧会社に対する要求の内容とその趣旨を除くその余の事実については、当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、右要求の中には、確かに原告主張のとおり片山の疾病について業務起因性を認めよとの趣旨も含まれてはいたが、それだけではなく、本件命令が認定しているように、片山の症状が徐々に軽快しつつあり、早い時期に職場復帰が可能と思われるので、旧会社においては、休職期間満了をもって一般退職とすることなく、この問題について補助参加人組合との団体交渉に応じられたい、との趣旨も含まれていたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

(九)  同項(9)及び(10)において認定された事実については、当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、神奈川県地方労働委員会の審査委員は旧会社に対し、昭和五五年八月八日付けの勧告書を発し、同委員会における審査継続中は休職期間満了による一般退職の適用について十分配慮するよう勧告したことが認められ、また、(証拠略)によると、旧会社は、就業規則上、私傷病による休職者については、休職期間を延長しない限り、その満了時に復職することができないときは自動的に退職の効果が生じるところ、休職期間を延長するのは当該労働者が会社にとって特に有用な人物である場合などに限られる、との見解の下に、片山については同人の勤務状況に照らすと、業務に起因する疾病に罹患する状況は見当たらないし、休職期間を延長すべき事由もないとし、原田医師に対して業務起因性の有無を質問したのみで、片山の健康回復の見通しについては何らの調査もせずに、退職通知書を交付したことが認められる。

(一〇)  (証拠略)によると、同項(11)で認定されたとおり、片山について労災保険の休業補償給付支給決定のあったことが認められる。

4  第4項「旧会社の就業規則」で認定された事実については、当事者間に争いがない。

三  片山の退職の取扱いについて

1  本件命令は、原告会社が片山に対し昭和五五年八月一〇日付けの退職通知を発し、同人を退職したものとして取り扱ったことが、不当労働行為に当たるとしているところ、原告は、休職期間の満了時に復職しない限り雇用契約は何らの行為を要せず当然に終了するのであり、退職通知は単にその事実を確認したものにすぎないから、これを不当労働行為ということはできない、と主張しているので、この点について検討する。

まず、休職期間が満了した際の休職者の取扱いに関する就業規則の定めをみると、前記のとおり、旧会社の就業規則一九条五号は、「会社は事情により休職期間を延長することができる。」と定め、同二〇条は、復職との見出しの下に、一項において「休職期間が満了した時はただちに復職させる。」とし、二項において「傷病による休職者が復職する場合は医師の診断書を必要とする。」と定めており、また同二一条は、一般退職との見出しの下に、「社員が次の各号の一に該当するに至ったときは、その日を退職の日として社員の身分を失う。」とし、その四号において「休職期間が満了しても復職の望みなしと認められたとき」と定めている。更に、(証拠略)によると、同条には他に、一号として「本人の都合により退職を願い出て、会社が承認した時」、二号として「期間の定めある雇用が満了したとき」、三号として「本人が死亡したとき」を列挙しており、解雇事由を定めた規定は別にあることが認められる。

このような就業規則の定めを総合して考えると、傷病による休職者の休職期間が満了した時点において、傷病が治ゆしている場合には、復職させるべきことに問題はないし、傷病が治ゆしていない場合において、当該傷病が業務に起因するものであるときは、労働基準法一九条の趣旨に照らし、直ちに退職の取扱いはできないし、当該傷病が業務に起因すると認められないときも、直ちに退職の扱いになるのではなく、傷病の現状及び将来の見通し等からみて復職の望みがないと認められるときに限り退職の扱いとなり、そのように認められないときには休職期間の延長をするなど適宜の措置を採るべきこととなるものと解するのを相当とする。したがって、旧会社としては、業務に起因すると認めない傷病による休職者の休職期間満了に際しては右のいずれの措置を採るかについて態度決定をしなければならないのであって、旧会社のした昭和五五年八月一〇日付けの退職通知は、原告の主張するように休職期間の満了という単なる時間の経過により何らの行為を要せずに片山が当然に退職したこととなるとの事実を確認するにすぎないものではなくて、片山について復職の望みがないと認めて同人を退職扱いとする旧会社の態度決定を明らかにしたものと解することができるのであるから、これが不当労働行為となり得る性質の行為であることは明らかである。

2  そこで、次に、旧会社が片山を退職の取扱いにした行為が不当労働行為に該当するか否かについて検討する。

前記二で認定した片山に対する休職通知から退職通知に至るまでの事実の経過をみると、補助参加人組合は、片山の休職期間の当初から、旧会社に対し、頸肩腕障害、腰痛症との今井医師の診断書を提出したうえ、片山の疾病が業務に起因するものであると主張し、その旨の取扱いをするよう再三要求し、休職期間満了直前の昭和五五年八月七日にも同月一日付けの今井医師の診断書(「症状は徐々に軽減しつつあるが、本日より更に一か月間の休業加療を要する。」との記載がある。)を提出しており、また、片山も、同年八月九日に、原告会社に対して、症状は徐々に軽減しつつあるので早い時期に職場復帰が可能であると考えるので休職期間満了による退職の扱いをしないようにとの申入れをしている。また、川崎北労働基準監督署は旧会社に対し片山の休職期間を延長するよう要請し、神奈川県地方労働委員会の審査委員も旧会社に対し審査継続中は片山の休職期間満了による一般退職の適用について十分配慮するよう勧告したのである。しかも、当初定められた休職期間は二か月という就業規則で定める期間のうち最短のものであった。しかるに、旧会社は、片山に対して、会社の指定医の診断を受けるように求めたほかは、片山が欠勤当初に診察を受けた原田医師に対して業務起因性について質問をしたのみで、片山自身や今井医師に事情を聴取することもなく、特に片山の傷病の将来の見通しについては全く調査をせず、また休職期間の延長を考慮することもなく、片山を休職期間満了による退職扱いとしたものである。

以上のような取扱いは、前記労働基準法一九条及び旧会社の就業規則の趣旨に照らすと、片山の傷病が業務に起因するものであるときはもちろん、原告主張のとおり右傷病が業務に起因するとは認められないときにおいても、そのような取扱いをするために必要な調査を全くしていないのであるから、正当な法的根拠に基づかないものといわざるを得ない。そして、このことと、前記二の1及び2に記載したように、片山が旧会社におけるただ一人の補助参加人組合の組合員であること及び補助参加人組合は旧会社の川崎工場閉鎖問題や玉川作業所への配置転換問題をめぐって旧会社と激しく対立し、紛争が生じていたことを考え併せれば、旧会社の片山に対する退職の取扱いは片山の組合活動を嫌悪してなした不利益な取扱いであると認めるのが相当である。

3  次に、原告は、本件命令の主文第一項は、原告会社にいかなる行為を求めているのかその趣旨が不明であると主張している。

しかし、原告の主張は、昭和五五年八月一〇日付け退職通知には何らの法的効果もなく、単に事実確認の意味しかないことを前提とするところ、この前提自体が失当であることは前記のとおりである。のみならず、旧会社が片山を退職したものと取り扱ったことが不当労働行為となることは前示のとおりであり、本件命令の主文第一項はこれについての救済方法であることが明らかであるから、同項は主文第三項や理由をも含めた本件命令全体から合理的に判断すれば、従業員たる地位の回復及びそれに伴って必要な措置をとるべきことを命じたものであることは明らかである。これを具体的にいうと、原告会社としては改めて片山の健康の回復可能性を調査し、その結果に基づいて、休職期間を延長するか、又は復職させる(軽減勤務を命じることを含む。)など症状回復の程度に応じた適宜の措置をとるべきである。このように、原告会社においてとるべき措置は、片山の症状回復の程度に応じてさまざまなものが考えられ、それらの措置のいずれを選択するかは原告会社において判断すべきことがらである以上、予想される具体的措置を逐一命令の主文中に列挙しなかったとしても、それだけで本件命令が違法となるとはいえないというべきである。

なお、以上はいずれも就業規則に基づく措置であるから、仮に、片山について休職期間延長又は復職等の措置がとられたとしても、片山が労働組合員であることから特に有利な待遇を受けたことにはならないことはいうまでもない。また、原告は、片山については休職前から勤務状況が悪く、懲戒処分に相当する事由があった旨主張するが、このことは、本件休職及び休職期間満了に伴う退職とは何ら関係がないから、別個に懲戒処分をすることは格別、右休職期間満了の取扱いをするに当たって考慮することはできないと解すべきである。

4  したがって、本件命令の主文第一項に関する原告の主張は、いずれも採用できない。

四  団体交渉の拒否について

原告は、請求原因第2項(三)のとおり、昭和五五年七月二二日付け団体交渉申入れを拒否したことには正当な理由があり、また、救済命令によって団体交渉を強制しても実効性を欠く旨主張しているので、検討する。

同月八日の団体交渉において業務起因性を認めるか否かの点について当事者双方の主張が鋭く対立していたことは前記認定のとおりである。しかし、他方、前記認定のとおり、片山の疾病問題については右団体交渉が第一回目のものであり、右問題に関する交渉時間はわずか三〇分程度にすぎず、しかも、旧会社は、右問題は労使間の問題というよりも片山個人の問題であるとの立場から、この問題を交渉事項とすることに消極的であったこと、また、本件では既に業務起因性の存在をうかがわせるに足りる今井医師の診断書が提出されていたのであるから、旧会社としては、原田医師だけでなく今井医師にも説明を求め、それでも疑問が残れば、その点を明らかにしたうえで改めて会社の指定医の診察を受けるよう提案するなど、双方の前提とする立場に若干の修正を加えることにより交渉の進展をはかることも十分可能であると考えられること、更に、右団体交渉申入れにおける要求事項は、前記のとおり、右業務起因性の問題にとどまらず、一般的な職場環境の改善等の問題も含まれていたことを考えると、同月二二日に申し入れられた団体交渉事項について、同月八日の団体交渉において十分実質的論議が尽くされていたとは到底いえないし、ましてや、当事者双方の主張が相対立したまま平行線をたどり、交渉を継続しても何らの進展打開も期待できない、いわゆる交渉決裂状態に至っていたと認めることはできない。従って、右の団体交渉の拒否に正当な理由があったとはいえない。

また、実効性の点についても、右のとおり、団体交渉申入れ時においても交渉進展の可能性は十分に存していたうえ、前記認定のとおり、その後労働基準監督署においても右業務起因性を認める旨の決定がされるなど状況の変化があり、更に交渉進展の可能性が増したと評価すべきであるから、救済命令によって団体交渉を命じることに実効性があると考えられる。

したがって、本件命令の主文第二項に関する原告の主張も採用できない。

五  以上によると、旧会社のした退職の取扱い及び団体交渉拒否はそれぞれ労働組合法七条一号及び二号に該当する不当労働行為であるから、本件命令には所論の違法はなく、本件命令は正当である。

よって、原告の本件請求は理由がないから棄却し、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井功 裁判官 矢崎博一 裁判官 藤山雅行)

別紙二 命令書

再審査申立人 京セラ株式会社

代表取締役 稲盛和夫

再審査被申立人 全関東単一労働組合

執行委員長 片山岩一

主文

初審命令主文を次のとおり変更する。

1 京セラ株式会社は、全関東単一労働組合の組合員片山昭子に対する昭和五五年八月一〇日付け退職通知がなかったものとして取り扱わなければならない。

2 京セラ株式会社は、全関東単一労働組合が昭和五五年七月二二日付け団体交渉要求書により申し入れた事項について、誠意をもって団体交渉に応じなければならない。

3 京セラ株式会社は、下記の文言を記載した文書を全関東単一労働組合に交付しなければならない。

会社が、貴組合分会長である片山昭子の疾病に関する団体交渉に誠意をもって応ぜず、また、片山昭子に対する昭和五五年八月一〇日付け退職通知を行い退職したものとして取り扱ったことは、労働組合法第七条に該当する不当労働行為であると中央労働委員会によって認定されました。よって、今後、このような行為を繰り返さないようにいたします。

昭和 年 月 日

全関東単一労働組合

執行委員長 片山岩一殿

京セラ株式会社

代表取締役 稲盛和夫

4 全関東単一労働組合のその余の救済申立てを棄却する。

理由

第1 当委員会の認定した事実

1 当事者等

(1) 再審査申立人京セラ株式会社(以下「会社」という。)は、本件再審査結審後の昭和五七年一〇月一日、京都セラミック株式会社が当初再審査申立人であったサイバネット工業株式会社(以下「旧会社」という。)を合併して、商号を変更したものであり、肩書地(略)に本社を置いている。

旧会社は、川崎市高津区に本社を置き、同市中原区に玉川作業所を、その他各地に工場を有し、従業員約一、三〇〇名をもって電気機器及び部品の製造販売を営んでいたものである。なお、その川崎工場は昭和五三年六月閉鎖された。

(2) 再審査被申立人全関東単一労働組合(以下「組合」という。)は、昭和四七年二月六日関東地方における各種産業に従事する労働者をもって結成された労働組合であり、肩書地(略)に事務所を置き、その組合員数は本件再審査結審時約一〇〇名であった。

組合の下部組織であるサイバネット工業分会(以下「分会」という。)は、旧会社の後記川崎工場閉鎖計画の発表を契機として昭和五三年三月一六日旧会社の従業員により組織されたものであり、その分会員は、分会結成当初から本件再審査結審時まで引き続き分会長である片山昭子(以下「片山」という。)のみであった。

なお、旧会社には分会とは別の労働組合として、従業員約三五名によって組織される総評全国一般労働組合神奈川地方連合サイバネット工業支部(以下「別組合」という。)があった。

2 本件に至るまでの労使関係

(1) 片山は、昭和五一年二月、当時のサイバネット工業仲電機株式会社に入社してから、工場の生産ラインにおいてトランシーバー等の配線組立作業などに従事していたが、その後、同工場が旧会社の仲工場となり、次いで昭和五一年一〇月これが他の工場と統合されて川崎工場が新設されたことに伴い、同工場勤務となった。

(2) 川崎工場では昭和五三年三月ごろ、旧会社が川崎工場の閉鎖計画を発表したのでこれを契機として、工場閉鎖と従業員の玉川作業所への配置転換などをめぐって、これに反対する組合及び別組合と旧会社との間に紛争が発生した。その後、旧会社は、工場閉鎖のため備え付けの機材を搬出しようとしたり、支援の労働組合員の構内立入りを禁止したりし、一方、組合は、別組合とともに旧会社の本社に抗議行動を行うとともに、片山の指名ストライキを繰り返すなどして、労使の対立が続いたが、旧会社は、さような状況下に同年六月川崎工場を閉鎖した。

この間、組合は、旧会社が工場閉鎖問題等に関して組合の申入れた団体交渉に応じないことなどを別組合と差別する不当労働行為であるとして、神奈川県地方労働委員会(以下「神奈川地労委」という。)に救済の申立て(神労委昭和五三年(不)第二六号及び同第三一号事件、以下「第一事件」という。)を行った。神奈川地労委は、この件につき昭和五三年一一月二五日付けで一部救済命令を発したが、旧会社から再審査の申立てがなされ、本件再審査結審時現在、当委員会に係属中(中労委昭和五三年(不再)第六〇号事件)である。

そして、川崎工場に勤務していた両組合の組合員は、上記紛争発生のころから工場閉鎖後も引き続きストライキなどにより不就労状態を継続し玉川作業所への配置転換を拒否していたが、別組合は、昭和五三年一〇月七日旧会社と工場閉鎖問題等に関する和解協定を締結し、これにより別組合の組合員は同月二〇日から玉川作業所において就労を始めた。しかし、一方、旧会社は、組合から、工場閉鎖等について別組合と締結した内容と同じ協定を締結するよう求められたのに対し、同一内容の協定を締結する意思はないと回答した。

そこで、組合は、やむなく、工場閉鎖の問題等を未解決のまま片山の指名ストライキを解き、片山は、別組合の組合員と同じく、同年一〇月二〇日から玉川作業所に移って就労を始めた。

また、組合は、旧会社が組合の申入れを受けながら、上記のように別組合と同一内容の協定を締結できないとしたこと、休日問題等に関して組合の申入れた団体交渉に誠意をもって応じなかったことなどが不当労働行為であるとして、神奈川地労委に救済の申立て(神労委昭和五三年(不)第五四号、同第五五号及び昭和五四年(不)第三号事件、以下「第二事件」という。)を行った。神奈川地労委は、この件につき昭和五四年一〇月一九日付けで救済命令を発したが、旧会社から再審査の申立てがなされ、本件再審査結審時現在、当委員会に係属中(中労委昭和五四年(不再)第六三号事件)である。

3 片山の欠勤から退職までの経緯

(1) 片山は、上記のように昭和五三年一〇月二〇日から引き続き玉川作業所において勤務していたが、昭和五五年四月旧会社近くの新城整形外科医院において診療を受けたところ、同月一〇日同医院の原田医師から脊椎々間軟骨症のため約三週間の安静加療を要すると診断されたので、同医師の同日付けその旨の診断書を提出して、同月一一日から欠勤を始め、さらに、同年五月六日付け同医師の上記と同一の疾患によりなお約三週間の安静加療を要する旨の診断書を、また、同月二八日付け同医師のなお約二週間の安静加療を要する旨の診断書をそれぞれ旧会社に提出したうえ、引き続き欠勤し、同医院に通院して治療を続け、その後も症状が良くならないため、同年六月六日、一三日及び二〇日の三回にわたり、横浜市中区所在の神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所において診察を受け、同診療所の今井医師から頸肩腕障害、腰痛症により同月一三日から約一カ月間の休業加療を要する見込みであると診断され、同月二〇日付けその旨の診断書の交付を受けた。

(2) そして、旧会社は、片山に対し、就業規則第一八条第一項により六月一一日付けで休職とし、同第一九条第一項により休職期間を同年八月一〇日までの二カ月とする旨の同年六月一六日付け休職通知書を郵送し、片山は、同月二四日同休職通知書を受け取った。

(3) 組合は、同月二四日旧会社に対し、同日付け要求書に港町診療所の上記診断書を添えて提出し、夏期一時金について要求するとともに、片山の疾病について、<1>これを業務に起因する疾病と認め、その取扱いをすること、<2>療養、休業、その他の補償を行うことなどを要求し、併せて上記要求に関する団体交渉を同年七月二日開催するよう求めた。

続いて組合は、旧会社に対し、「抗議ならびに要求書―会社の六/一六付『休職通知書』について」と題する七月四日付けの文書を提出したが、その内容は、<1>片山に対する六月一六日付け休職通知書は、休職期間を二カ月としたことについて、その基準を示さず、また、何の説明も付さない一方的なものであって、不当である、<2>組合は、六月二四日付けの上記要求書において、片山の頸肩腕障害、腰痛症を業務に起因する疾病と認め、その取扱いをすることを要求する、<3>旧会社が、同休職通知書を撤回し、組合の同要求書に基づく団体交渉に誠意をもって応ずるよう要求する、というものであった。

(4) そして、同年七月八日、組合の上記要求に基づく団体交渉が、分会長片山も出席して午後一時から約二時間にわたり開催され、その中約三〇分間、片山の疾病、休職に関する事項が議題とされ、組合は、旧会社に対し、片山の病状を説明し、玉川作業所における作業量の増大にその原因があるとし、片山の疾病を業務に起因するものと認め、その取扱いをすること、及び六月一六日付け休職通知書を撤回することを求めた。

これに対し、旧会社は、従業員の疾病について、これが業務に起因するか否かは、会社側の指定医の診断に基づき決定すべきものであって、そうでなければ業務に起因する疾病として取り扱うことはできない、指定医については、今は言えない、後にこれを指定して本人に連絡する旨、また、六月一六日付け休職通知書については、撤回する意思がない旨を回答したので、組合は、指定医については、就業規則に規定がなく、また、労働者に医師選択の自由があるとして反論し、片山を三回診療した港町診療所の今井医師と旧会社とが話し合うことを提案するとともに、片山の休職期間を二カ月とした根拠について説明を求めた。

しかし、旧会社は、今井医師と話し合う必要はない旨及び休職期間の決定は旧会社の裁量権によるものであり、これまでに玉川作業所就業規則を適用した休職の事例はない旨を回答した。

また、旧会社の交渉員が片山の具体的な作業内容、作業量を知らない事情もあったため上記の団体交渉においては、結局、片山の疾病、休職に関する結論はでなかった。

(5) また、組合は、同年七月中ごろ、旧会社に対し、片山の疾病に関する労働者災害補償保険の給付請求手続上必要があるとして、その請求書の事業主証明欄の記載を求めたが、旧会社は、これを拒否した。

その後、旧会社は、片山に対し七月一六日付け通知書により、会社側指定医(専門医)の診断を受けることを求め、三名の医師を指定する旨、検診費用・交通費は旧会社が負担する旨及び指定医・診察日について片山の希望をできるだけいれるために予め旧会社に連絡することを求める旨を通知したが、片山は、その後も上記指定医の診断を受けなかった。

(6) 同月二二日、片山は川崎北労働基準監督署に労災保険給付の請求を行う一方、組合は、旧会社に対し、同日付け団体交渉要求書を提出して労災保険給付請求をふまえる団体交渉の開催を求めたが、その交渉事項となる組合の旧会社に対する要求内容は、<1>片山の頸肩腕障害、腰痛症を職業病と認め、一切の責任をとること、<2>本人及び主治医の判断に従って片山の疾病を業務に起因するものと認めること、<3>指定医制度導入を撤回すること、<4>片山の健康回復期間における休業補償、療養補償等生活保障と身分保障をすること、<5>職場環境の改善、罹病者の軽減勤務等労働条件の改善をすること、<6>片山に対する一方的な休職期間通告を取り消すことであった。

これに対し、旧会社は、同月二九日付け回答書を分会長片山宛に郵送したが、その内容は次のようなものであった。

<1>本件は労使間の問題というよりも、従業員片山個人の休職取扱いの問題であり、従って旧会社は、本人に対し直接通知したのに、本人からは何ら質問も申し出も苦情も連絡もない。

<2>すでに同月八日の団体交渉の席上で説明済みであって、これ以上説明するものはないので、本件は団体交渉になじまない。

<3>旧会社は同年六月一六日付け休職通知を撤回する理由もまたその意思もない。

(7) そして、旧会社は、同年七月三〇日付け文書で片山に対し、指定医の診断を受けるよう再度通知した。

(8) 一方、組合は、同年八月七日旧会社に対し、同年七月二九日付け回答書などに抗議する集会を旧会社の本社門前で開催し、片山も参加し、分会名の八月七日付け抗議文及び港町診療所の今井医師による片山の同月一日付け診断書を提出した。その診断書の内容は、「病名 頸肩腕障害、腰痛症昭和五五年七月一三日より七月三一日までの休業加療を要した、この間症状は徐々に軽減しつつあるが、本日より更に一ケ月間の休業加療を要する、」となっていた。

また、片山は、同年八月九日、同人名の同日付け文書を旧会社に持参提出し、その中で、休職問題について片山本人から苦情等は出されていないという旧会社の同年七月二九日付け回答書に抗議するとともに、今井医師の同年八月一日付け診断書によっても明らかなように、症状が徐々に軽減しつつあるところから、早い時期に職場復帰が可能であると考えているので、休職期限の同年八月一〇日をもって玉川作業所就業規則第二一条の一般退職として取り扱わないこと、及びこの問題について組合との団体交渉に応じるよう求めた。

(9) そして、川崎北労働基準監督署は、同年七月下旬から八月上旬にかけて、組合の申入れに基づき旧会社に対し、玉川作業所就業規則の条項の解釈について文書回答を求めるとともに、片山の休職期間を延長するように要請した。これに対し、旧会社は、前者については文書で回答し、後者については、いろいろな角度から検討して期間を決定したので、延長することはできない旨を口頭で回答した。

(10) 旧会社は、同年八月一一日片山に対し、「休職期間満了日(八月一〇日)までに所定の復職手続きがなされず、且つ治ゆの見込も望めないので、貴殿は当社の規定により八月一〇日付をもって退職となりました。」との同月一〇日付け通知書を片山に手交した。これに対し、組合は、旧会社に対し、同月一二日付け抗議文を提出した。

(11) 川崎北労働基準監督署は、昭和五六年二月二〇日片山の前記(6)の労災保険給付請求に対し、片山の疾病を業務に起因するものとして、休業補償給付の支給を決定した。

4 旧会社の就業規則

玉川作業所の就業規則中、本件に関係がある規定は次のとおりである。

第一八条 休職

社員が次の各号の一に該当するときは休職とする。但し特別の事情を認めた場合は例外の取扱いをすることがある。

1 業務外の傷病による欠勤が二カ月を経過しても治ゆしないとき及び医師が休職の必要ありと認めた時。

2及び3(略)

第一九条 休職期間

休職期間は次の通りとする。

1 前条1、2の場合は二カ月以上六カ月の間で決定する。(以下略)

2ないし4(略)

5 会社は事情により休職期間を延長することがある。

第二〇条 復職

休職期間が満了した時はただちに復職させる。

(2) 傷病による休職者が復職する場合は医師の診断書を必要とする。

(以下略)

第二一条 一般退職

社員が次の各号の一に該当するに至ったときは、その日を退職の日として社員の身分を失う。

1ないし3(略)

4 休職期間が満了しても復職の望みなしと認められたとき。

なお、玉川作業所就業規則には、指定医についての規定はなく、医師に関する規定を含む条項は、上出第一八条及び第二〇条第二項の外に次の第三三条及び第三七条第二項がある。

第三三条 特別休暇

社員が次の各号に該当する場合には特別休暇を与える。

1ないし3(略)

4 業務上の疾病 医師の診断書に基づいて

(以下略)

第三七条 欠勤

……(略)……

(2) 社員は病気欠勤七日以上に及ぶ時は医師の診断書を提出するものとする。

5 初審における旧会社の不出頭

旧会社は、本件初審において、神奈川地労委に対し、昭和五五年八月四日付け上申書を提出し、第一事件の審査期日に組合の組合員らが、会社側出席者に暴力行為を行ったことに関して、同地労委が会社側出席者の身体的安全を保障することの文書による回答を求め、この保障がなされない限り審査期日に出頭することができない旨を述べたうえ、同地労委から調査期日、審問期日の通知を受けたにもかかわらず、文書による上記の回答がないことを理由に、すべての期日に出席しなかった。

なお、旧会社は、昭和五三年七月三一日第一事件の審問終了直後、会社側出席者が神奈川地労委の審問廷から退出して、駐車場に赴くまでの間に組合の組合員らによって暴力行為を受けたとして、第二事件の審査に際し、昭和五四年一月一〇日付けで同地労委に上申書を提出し、本件におけると同様の上申を行った。このような事情の発生に対応して神奈川地労委は、同月二五日付け事務局長名の文書により、暴力行為の事情聴取かたがた同地労委の考え方等について話し合いたい旨を通知し、その後も暴力行為の事情聴取に応ずるよう連絡したが、旧会社は、それに応ぜず、上申書に対する文書回答がなされないことを理由に、本件同様、すべての期日に出席しなかった。

第2 当委員会の判断

1 初審における手続き違法の有無について

会社は、昭和五五年八月四日付けで、神奈川地労委に対し、本件審問期日における会社側出席者の身体的安全の保障を願う旨の上申書を提出しているにかかわらず、同地労委がこれに回答せず、一方的に期日を決めて審問を進めたため、会社は初審の審問に出頭する機会を得なかったものであるが、これは審問手続上保障さるべき労使対等を侵すものであって、違法であるから、さような手続きによって発せられた初審命令は取り消されるべきであると主張する。

しかしながら、仮に、上記上申書記載のように、本件と当事者を同じくする過去の第一事件の審査期日終了後、会社側出席者が組合の組合員から暴力を受けるという審査手続きの運営上好ましくない事実があったとしても、そのような出来事だけでは、神奈川地労委の本件初審の審査手続きに会社側出席者の出席自体が不能になったものとは認めがたい。しかも、前記第1の5認定の事実によれば、神奈川地労委は第二事件の審査を行うに当たり、会社から上記と同趣旨の上申書の提出があったのに対応して、事情聴取をしようとしたが、会社がそれに応ぜず第二事件及び本件のいずれにおいても、その主張のような回答を得ることに拘泥して、同地労委が指定した審査期日のすべてに出頭しなかったため、同地労委としてはやむを得ず、会社側不出頭のまま審査を進めたものであることが明らかである。してみると、神奈川地労委の上記措置を捉えて本件初審の審査手続き上、労使対等を侵す等、公平を欠く違法があったというのは当たらないと考えるから、この点の会社の主張は採用することができない。

2 片山の休職及び退職の取扱いについて

会社は、片山に対し昭和五五年六月一六日付けの休職通知及び同年八月一一日付けの退職通知をしたことを不当労働行為に当たるとした初審の判断を不服とし、本件休職及び退職の通知を行ったのは、同人の疾病が職業病ではなく、私傷病であるため、これを前提にして、就業規則の私傷病の規定を適用したにすぎず、会社には不当労働行為の意思がなかったと主張する。

(1) まず、本件休職通知についてみると、前記第1の3の(1)認定の事実によれば、片山は昭和五五年四月から五月にわたり新城整形外科医院の原田医師の診察を受け、以下三通の診断書を通じて病名を脊椎々間軟骨症とし、四月一〇日付け診断書では約三週間の、五月六日付け診断書ではなお約三週間の、同月二八日付け診断書でもなお約二週間の安静加療を要すると診断され、四月一一日から欠勤を続け、二カ月を経過する六月一一日に至っても治ゆしなかったものであるが、その間、会社は片山あるいは組合から片山の疾病を職業病ないし業務上の疾病として特別休暇の取扱いをするよう求められることもなかったものである。

そうだとすれば、会社が本件休職通知を決定した当時(少くとも休職通知が片山に到達した六月二四日以前)、片山の疾病を業務外の傷病と認識し、会社の就業規則第一八条第一項(前記第1の4で認定)を適用して休職の取扱いにしたことは自然であり、また、その休職期間を二カ月としたことも、上記原田医師の診断書の記載に照らせば無理からぬところであったといわざるを得ない。

したがって、会社が片山に対し昭和五五年六月一六日付けで二カ月の休職通知を行ったことは相当であり、これを不当労働行為に当たるとした初審の判断は失当である。

(2) 会社は、片山に対し、八月一〇日付けの退職通知をなし、同日以降同人を退職したものとして取り扱ったことについて、片山の疾病が業務に起因するいわゆる職業病に当たらないとの休職通知当時の判断を変更するに足る資料がないため、就業規則の私傷病の規定を適用したものであると主張し、さらに、その経緯として、組合及び片山から六月二四日以降同人の疾病を業務上疾病として取り扱うよう求められているが、主治医を変え、病名も従前と異る新しい診断書を提出してなされた根拠が納得しがたい要求なので、会社としてはその指定する医師の診断を受けるよう求めたにもかかわらず、片山がこれを拒否したものであって、組合及び片山の職業病であることを前提とする休職期間延長の申入れには理由がなく、会社が休職期間の満了をもって退職の取扱いとしたことは相当であると主張する。

なるほど、前記第1の3の(3)、(4)認定のとおり、片山が二カ月以上欠勤の後、六月二四日に至り、組合を通じて、港町診療所の今井医師の診断書を提出し、片山の疾病を業務上のものと認めてその取扱いをするように求めたのに対し、会社が、その根拠に疑問をもち、直ちに組合の要求に応じなかったことには、事の成行きに鑑みると一応無理からぬところがある。

しかしながら、それにしても、前記第1の4認定のように、会社の就業規則第一九条第五項は「事情により休職期間を延長することがある。」と規定されているところ、片山の休職期間は同上就業規則所定では最短の二カ月とされたのであり、その満了当時片山から提出された八月一日付け診断書には「症状は徐々に軽減しつつある」と記載され、休業加療の期間も一カ月と記載されていたのであるから、場合によっては休職期間の延長を考慮する余地があったやも知れないのに、会社は全くこれを顧慮することがなく、しかも、前記第1の3の(3)ないし(10)認定のように、組合が片山の疾病を業務に起因する職業病として取り扱うよう要求して団体交渉を申入れているのに対し、会社は後記3判断のように誠意をもって団体交渉に応じることがなく、また、前記第1の3の(9)認定のように、川崎北労働基準監督署から休職期間の延長を要請されたにもかかわらず、会社はこれに応じることもなく、片山に対し二カ月の休職期間が満了した時点で、それだけを理由に退職通知を行い、その後は退職したものとして取り扱うに至ったものであって、このような会社の態度は、性急にすぎ、穏当を欠くものといわざるを得ない。このことは、前記第1の3の(11)認定のように、川崎北労働基準監督署が昭和五六年二月片山の疾病を業務に起因するものとして、片山に対する休業補償給付の支給を決定した事実に徴すれば、一層その感を深くする。のみならず、片山が会社内唯一名の組合員で、分会長でもあり、前記第1の1の(2)及び2の(2)認定の事実から推認されるとおり、会社との間で川崎工場閉鎖、玉川作業所への配置転換等に関連する不当労働行為救済申立事件等について組合活動を行ったことを併せ考えると、むしろ会社の片山に対する退職の取扱いは、会社が片山の組合活動を嫌悪してなしたものと認めるのが相当である。

そうだとすれば、上記退職通知は、不当労働行為に当たるものというべく、これと結論を同じくする初審の判断は相当である。

3 団体交渉の拒否について

会社は、片山に対する上記休職通知について組合が昭和五五年七月二二日付けで申し入れた団体交渉を拒否したことが不当労働行為に当たるとした初審の判断を不服とし、上記団体交渉の交渉事項が片山の病気に関する問題であるため、直接本人と話し合うほうがより適切であると考え、片山から照会、質問があれば説明すると申し伝えたのに、本人から全く照会、質問がないというのが実情であったから、初審命令のそのような会社の配慮を無視し去って、会社が裁量権に属すると主張するだけで一切団体交渉に応じないのは正当な理由がないと判断したことは不当であると主張する。

しかしながら、前記第1の3の(11)認定のように、川崎北労働基準監督署が昭和五六年二月には片山の疾病を業務に起因するものとして休業補償給付の支給を決定したところをみても、組合が会社に対し片山の疾病を業務に起因するものとして取り扱うよう要求し、団体交渉を申し入れたことは無理からぬものというべきであり、さらに、前記第1の3の(3)ないし(8)認定の事実によれば、本件団体交渉の交渉事項は、片山個人の疾病、休職に関するものではあっても、これを私傷病による休職とするか、業務上の疾病による特別休暇とするか、これに関連して会社の指定医の診断を必要とするか等、就業規則の関係条項の解釈、適用をめぐる問題をとりあげているのであるから、会社が片山個人と話し合うほうが適切であるとして、団体交渉を拒むことは正当ということができない。また、前記第1の3の(6)認定のとおり、会社は組合の団体交渉申入れに対する昭和五五年七月二九日付け回答書において、その交渉事項について既に同月八日の団体交渉で説明済みであるとしているが、前記第1の3の(4)認定のとおり、同日の団体交渉においては、片山の疾病、休業に関する話し合いは三〇分程度行われただけであり、しかも、会社はその交渉事項については終始団体交渉でとりあげることに熱意を欠き、それよりも個人として話し合いたいとの態度をもって臨んでいたものであるから片山の疾病、休業に関する団体交渉が同日をもって尽されたとみることはできないのである。

したがって、組合の昭和五五年七月二二日付けの団体交渉申入れを、会社が拒否することには正当な理由があるものと認められず、これと結論を同じくする初審の判断は相当である。

以上の次第であるから、初審命令が休職通知に救済を与えた点については再審査の申立てを容れて救済申立てを棄却し、また、退職通知及び団体交渉に救済を与えた点については再審査申立てを排するとともに、諸般の事情を考慮して初審命令の救済内容を主文のとおり変更するのを相当と認める。

よって、労働組合法第二五条及び第二七条並びに労働委員会規則第五五条の規定に基づき、主文のとおり命令する。

昭和五八年四月六日

中央労働委員会

会長 平田冨太郎

別紙(三) 片山昭子の出勤状況

<省略>

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